小説を選ぶ時に私は長編を選びがちです。と言っても、何巻にもわたっているものはというと、そこまでは望みません。持ち運びやすい文庫本なら1冊が一つの物語になっているものが好きなんです。特に理由があるわけじゃないけど、本屋さんで「これ、面白そうかな」と思って、パラパラと中を見て、目次を見て、短編集だとちょっとがっかりした気分になるんです。1冊が1つの物語での完結を求めているのかもしれません。だから、その選択は重要なんです。読み始めたけど意外にもその世界に入り込めなかった時には、最後まで読むのにものすごく時間がかかったり、なかなか進まないがために途中で放置してしまって、代わりに他のものを探しだすなんてことになりかねません。
でもたまに、短編集だけど良さそうって思えるものに出会うことがあります。先日がそうでした。しばらく、少し重めの長編にどっぷりハマっていたからでしょうね。ちょっと気分を変えたいって無意識に感じていたのかも。でも、その本の冒頭にめずらしく著者の前書きがあって、自分がその本を書いたいきさつが掲載されていたんです。初めにそれを読んだら、さらにその小説に興味が湧いてきて早く読みたくて仕方なくなったんです。それなのに、意外にもその前書きが長くて……「まだ始まらないの?」なんて思ってしまったんですから。きっと、それが戦略だったのかも。読み手の心がわかっていますよね。今、ようやく一つ目の物語が始まったところです。これからの行方がすごく楽しみです。
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アマチュア小説家に仲間入り?
たまに気が向いた時やあいにく本を持ち合わせていない時に電子書籍を読みます。何か面白そうなものがないかと、この前ネットで検索していた時に、私にとっては未知のゾーンを発見したんです。というより、知ってはいたんだけど足を踏み入れていなかったという方が正しいです。それは、小説の投稿サイトなんです。初めは普通に電子書籍をダウンロードできるサイトかと思っていたら、どうも違うような……と気が付いたんです。すごく沢山あるそれらの小説はアマチュア作家さんの作品なんだって。ランキングもあってすごく人気のある作品は、それはそれは沢山の人に読まれているんです。そして、その中から実際に年間に数冊は書籍化もされているとか。そんな投稿サイトがいくつもあるんです。アマチュアでも小説を書いている人がそんなに沢山いるなんて、びっくりです。気軽に読めるケータイ小説なども中高生に広まっているから、執筆も気軽になったのかもしれません。サラーっとランキングに目を通しただけで、中身はまだ読んでないからどんな内容のものが多いのかなどはわかりません。でも、恋愛小説やファンタジーなどが多いみたいでした。でも、全てが中高生向けかと思ったら、そうでもなくてちゃんと大人向けのものもあるんです。読んでみようかな、とも思ったんだけど、なぜか書いてみようかな、なんて気持ちになってしまったんです。
「何を書きたいの?」
「私の日常」
「それ、面白い?」
「結構面白い」
自問自答です。
続編が読みたいです
小説を読み終わった時に、すごく清々しいとも言えるような感覚になることがあります。その終結に満足しているときです。けど、そうではなく、感動したり、面白かったなって思ってはいるけど、その続きはどうなるんだろうって、なんとなく気持ちの治まりが悪いように思うこともあります。気持ちの治まりが悪いと言ってもネガティブな意味ではありません。言ってみれば、続きを知りたいということだから、ポジティブな気持ちなんですよね。
実は先日もそうでした。今まで私にとって興味がなかったことや知らなかったことが題材で、そんな世界もあるんだなぁってどんどん引き込まれてしまいました。家でも通勤電車の中でも、職場でも、とにかく一気に読んでしまいました。読後はまるで、映画を観終わった時のような感覚でした。なぜなら、私の頭に中にはしっかりと映像があったんですもの。そして、小説の終わりは『完』ではなく『続く』という感覚だったんですよね。そしたら、なんと続編があったんです。私が知らなかっただけだったのかもしれませんけど、運よく見つけたんです。面白かったからその作家さんの他の本を読んでみようって探していたら、目に留まったんです。もちろん、買いましたよ。今、読み始めたところです。「なるほど」と思いながらワクワクしています。今後の展開が楽しみです。
冷蔵庫を開けたくなる小説
小説の題材が食べ物というものが時々あります。読んでいて美味しそうな物が出てきたら、思わず食べたくなります。スイーツなら仕事帰りに買って帰りたくなるし、お料理なら作ってみようかなって思う時もあります。小説のスゴイところは、文字だけなのにいつもその気にさせるところです。映像も匂いも音も、そして味や手触りまで感じる事ができるんだから、我ながら驚いてしまいます。実は今、すごく読んでみたい小説があるんです。先日、見かけた本の紹介の記事にあったものです。何がって、その紹介記事のタイトルに興味が湧いたんです。だって、『夜中に冷蔵庫を開けたくなる小説』っていうんですもの。明らかに食べ物系だということはわかります。けど、「一体どんな物語り?」って思いますよね。でも、記事に書いてあった主人公の様子が目に見えるようで、すごく可笑しくて。何とも滑稽で愛すべき人物なんです。その主人公に会ってみたいという衝動が湧きました。そして、それを読んだら果たして本当に冷蔵庫を開けたくなるのかなという点も確かめてみたいところです。早く読みたいという気持ちが、早く食べたいという気持ちに何だか近づいているような不思議な気持ちです。近々、書店で探します。もし、見つからなければ取り寄せてでも読まなくっちゃ。
恋人、夫婦の良い関係
昔に比べたら、最近は独身の人が増えていますよね。どうも十代の子たちだって、彼氏彼女と一緒に過ごすより同性と一緒にいる方が気兼ねなく楽しいって言っているらしいんです。それは社会人になればますます強くなる傾向にあるみたいです。金銭的なことも含めて、結婚すると自分の自由がなくなるという考えに基づいているんだとか。
この前、そんな人たちに向けたコラムを見かけました。私もどっちかというと自分ひとりの時間を大事にしたい方です。読書もそうだし、他のことでも、一人の方が自分の都合だけで動けるし、気も使わなくて気楽だと思っています。そのコラムのテーマは『恋愛関係や結婚生活を長続きさせるために』というものでした。そこには、お互いの生活スタイルを尊重することが大事だと書いてありました。無理に同じ空間にいようとしないことって。これ、本当にそうだと思います。何がなんでも一緒にいなきゃってなると疲れちゃいますもの。それから、「○○しないといけない」は捨てることが必要なんだって。たとえば、「ごはんは必ず一緒に食べること」とか「何かあったら絶対に話し合うこと」とか。一見良さそうに思えるこれらもストレスを与えるんだとか。直接面と向かって意見を言うことが苦手な人もいるし、であればLINEなどの文字で意見を交換しても悪くはないって。確かにって、ものすごく納得です。そして、一番重要なことは、お互いの仕事については口出ししないということなんだそうです。特に男性はプライドもあって、簡単に踏み入られたくないと思うことが多いですものね。けど、女性だってそうです。むやみに意見されたくないというか。仕事に関しては、お互いが聞き役に回ることができればうまくいきます。
なるほど。一人の人間として個人の時間を持てるようにすることが大事で、そして、それぞれが自分らしく生きることがお互いの関係を長続きさせるポイントになるんですね。
図書館のロマン
最近は家で本を読むことが多くて、あんまり図書館で読んだり借りたりということがなくなりました。本もついつい通勤途中やショッピングモールの書店で買ってしまって……。だから増えすぎてしまうんですけどね。でも、図書館ってちょっと異空間で大好きです。学生時代には学校の図書室にもそこにしかない魅力を感じていました。おおよそ新刊からはほど遠いんだけど、読み古された感じも悪くないんです。中には落書きがあったり、誰かにあてたメッセージがあったり。それらを読むのもちょっと楽しみでした。それに学校の図書室って独特の匂いっていうか、それは本の匂いかもいれないけど、懐かしいイメージとして残っています。もし今、どこかでその匂いに出会ったら感動しそうです。
ずいぶん前になるけど、そんな図書館の本からストーリーが始まる映画を観たことがあります。本の間にしおりのようなメモがあって、それを見つけたことが始まりだったかな。詳しくは覚えてないけど、遠い日々への思いと現実の思いとがとても美しく描かかれていたっていう印象が残っているんです。沢山の人が手にした本には、その本のストーリー以上の物語がそこにはあるかもしれません。そう思うと、すごくロマンを感じてしまいます。
久しぶりに図書館にロマンを感じに行ってみようかな。
かつて好きだったもの
昔、とても好きだった小説家さんがいました。その人は今でも愛好家の多い大ヒット作を生み出し、私もいわゆる「信者」となって応援していました。もう完全に過去形になってしまっていますが。関連本はほとんどを買い集め、少数にしか行き渡らなかった限定版はオークションを駆使して大枚をはたき、ほんの少しの差分に狂喜乱舞し……と、今思うと本当に熱狂的な時期でした。
転機が訪れたのはついこの間のことです。あの大ヒット作と世界観を共有した続編が発売されるとのことで、それはそれは浮かれていました。非常に特徴的な文体と、いわゆる「鬱」な方向に話を持っていきがちな作家さんだったので、かつてほどのヒットが見込めるかどうかはファンのコミュニティでも意見が分かれていました。
で、蓋を開けてみたら、まあ、もう、何というか、ひどかったです。面白い面白くない以前に、文章がまったく練れていないんです。句読点が多く、読みづらく、そしてとにかく難解な言い回しをすることに執心していらっしゃるようで、ストーリーを追う前に心が折れてしまいました。
その作家さんはSNSをやっていらっしゃったのですが、批判が段々と強まるにつれて、かなり激しい言葉で応酬されるようになってしまいました。こんな形で思い出が崩壊すると、少し、切ないですね。
売ったはずの小説
売ったはずの本を惜しく思い、新たに買い直したところ、後日発掘された古いダンボールから、その売ったはずの小説が出てきてしまいました。さすがにちょっと落ち込みました。しまったまま忘れていたんだなあと……。なくして初めてその価値に気付いたはずだったのに……。
まあそんなこともありますよね。とりあえず古い方はさくっと某チェーン古書店に売り払いました。長いこと埃臭い場所に詰められていたせいで、だいぶ傷んでいたのですが、某チェーン古書店の査定に出すと、1冊1円で売れました。ここは状態のよくないものでも結構買い取ってくれるので好きです。書見がてらちまちまと持ち込んでいます。しかし、「買い取れません」「では処分でお願いします」とやりとりしたはずのものが普通に売り場に並んでいるのを目にした時は……ちょっとツッコミたくなりました(笑)。
それにしても、人間の記憶というものはあやふやなものですね。単に私の頭がアレというだけかもしれませんが。自分でしまったことを忘れて、売ってしまったと思い込むだなんて……。これを期に、管理できない量の本についてはちょっと処遇を考えたほうがよいかもしれませんね。手間と時間と思い入れを考えると、なかなかできないことではあるのですが。
おそばとお茶漬け
某大都市に出張してきたという友人が、私の大好物のお麩饅頭の他に、ひつまぶしの素を買ってきてくれました。レトルトパウチになっているうなぎをご飯に乗せ、ふりかけを掛けて、お湯を注いだら出来上がりという簡単仕様。ほんのりわさびが効いた風味が大好きです。ずるずるはふはふ、某お茶漬けのCMのように食べると、よりおいしさが増すような気がしています。
我が家の地方でもひつまぶしを食べられることは食べられるんですが、そうそう気軽に食べられるお値段ではないのです。まあそんなわけで、いち小市民には色んな意味でちょうどよい感じです。
ずるずるはふはふと言えば、日本を訪れた外国人が驚く習慣として、麺類を音を立てて啜る、というものがありますね。夕方のニュース番組などを夕食づくりの合間に見ていると、旅の恥はかきすてとばかりにノリノリでやってみる人、とても恥ずかしそうに控えめな音を立てて啜る人、色んな反応を見られる機会があって面白いです。
音を立てることによって空気を共に吸い込むことになり、香りの良いものはより香りを楽しむことが出来る……という話を聞いたことがあります。確か時代小説だったと思うのですが。夜鳴きそばの食べ方だったかな?お茶漬けにも適用されうる話ですよね。
小説で英語学習
大好きなファンタジー小説の原文を、その朗読CDを聞きながら読み上げるといったことを始めて、結構経ちます。邦訳版のおかげで訳文が大体頭に入っているのと、好きなものと関連づけてなら長続きするかと思って始めたことでしたが、案外毎日欠かさず出来ています。
映画やニュースなども、そのまま聞いて理解できる……ところまではいっていませんが、「全てひとかたまりの何か」として聞こえていたのが、どこで単語が区切れたのかくらいまでならすぐに分かるようになりました。街頭インタビューなどなら、なかなかの精度でヒアリング出来ています。
思えば私は、学生時代から英語が大の苦手でした。日本を訪れる外国人が英語で話しかけてくる(個人的経験の範囲内でのことですが)ことについても、郷に入っては郷に従え、と思っていたようなヒネた子供でした。けれどこうして、昔よりはるかに頭がかたくなってしまった頃になって学びたくなるとは因果なものですね。すり足で進んでいるかのような遅遅とした歩みですが、少しずつ少しずつ成長できているのがわかって、今とてもうれしいです。
そしていつかは行きたい海外旅行。行き先はもちろんそのファンタジー小説の原作者が生まれた国。情景描写がそのままだという評論をどこかで読んだので、本当にそうなのか、いつかこの目で確かめてみたいです。