直感で選んだ極上な映像作品

昨日の夕方、レンタルショップで一本のDVDに目が留まりました。それはマンガが原作となったもので、マンガ家と飼い猫の日常を描いたストーリーです。このDVDに出会った時、今観るべき作品だと感じました。ここ最近、私の心は少々荒み気味でした。その理由はよく分かりませんが、ここ数年の間に起きた少々辛かったことを思い出し、むしゃくしゃした気持ちが沸々と湧き上がっていたからです。このままではネガティブシンキングに覆いつくされてしまうのではないかと感じていて、それがまた憂鬱さを一段と深いものにしていました。
借りてきたDVDはその日の夜、眠る前に鑑賞しました。ショップで見つけた時、ふと心をよぎったことが見事的中して、鑑賞して本当に良かったと感じております。ずっと飼っていた猫が亡くなり、ペットロスになっていた主人公は近所の公園で皮膚に炎症を起こした猫に出会います。病院へ連れて行ったことをきっかけに飼うことになり、日々の暮らしがゆるやかに描かれてゆきました。またマンガの著者の人間としての魅力が、作品に溢れていることを感じたものです。同時に悲しい時は涙を流し、そばにいる人に胸のうちを素直に伝えることの大切さに気付いたのでした。嫌なことがあったことを無かったことにするのではなくて、自分の心がどう感じているのかを知ることができたら、今の私のように心が荒まずにすんだのかもしれません。自分の気持ちを大切にすることを知り、極上な作品に出会えたことを嬉しく思いながら、夜は更けてゆきました。

命宿るものと暮らすこと

数年前の冬に近所のお花屋さんでベコニアを買いました。濃いピンクの彩りと中央部分が白いコントラストの花に心奪われてしまい、一目惚れをしたのでした。その冬可憐に花は咲き続け、毎日観賞することが楽しみだったことが思い出されます。あれから数年経ちましたが、毎年冬には小さな花を咲かせ続けており、私の心を癒してくれています。ちなみに私の部屋にはベコニア以外にも幾つかの植木鉢が置いてあります。春から初夏にかけては緑の葉が四方八方に伸び、秋には葉を黄色く色付かせる様子を見ていると、生命力をひしひしと感じるようになりました。お部屋に命宿るもの置くだけでこんなにも心が豊かになるのだと気付くこともしばしばです。
先日、古本屋さんで風水についての書籍を購入しました。その本には風水を紹介しながらも、女性の部屋でインテリアを楽しみながら風水術を取り入れる方法が書かれており、かなり興味深い内容になっていました。そしてその書籍にも「部屋に植物を置くこと」が書かれており、「なるほど」と感じたのでした。どうやらお部屋の隅に植物を置くことでいい運気が流れるようです。私もそれにあやかり窓に面した角っこに植物スペースを作っております。運気の流れはよく分かりませんが、日差しが降り注ぐ窓辺でしとやかに佇む彼らを見ていると気持ちが洗練されるような気がします。毎朝お水をあげることは大変かもしれませんが、植物と供に暮らすことはなかなかよいものだと実感しています。

ご褒美はずっしりと重いシンプルなドーナツ

心地良く読書をする時間を求めて通うカフェがあります。私がここを訪れる時、かなりの頻度で食べるスイーツは、ドーナツです。週末の昼下がりに自分へのご褒美と称して、コーヒーのお供にしております。魅力を感じているところは、ずっしりと大きくて、まるで雪のように軽やかなパウダー状のシュガーがかかっているところでしょうか。見た目には寄らずにあっさりしていて、一つでお腹が満たされる最高のおやつだと感じています。
昨晩読み終えた小説には、私が愛しているあのカフェで食すようなドーナツを売るお店が登場します。この店は長年に渡り、オーソドックスなバニラエッセンスが効いたフレーバー一種だけを作り続けておりたくさんの人々に愛されているため、いつもお客が絶えないようです。店主は既に50歳を過ぎた独身の男性で、自称元体操選手という女性に危うく結婚詐欺に遭いそうになります。そんな過去がありながらも毎日美味しいドーナツを作り続けるそのひたむきな勢に職人魂を感じ、私は彼のファンになってしまいました。また輪っかを作るためにくり抜いた、真ん中の丸い部分を結婚詐欺の女性と仲睦まじく食す場面が何とも可愛らしくて大好きでした。小説は悪までもフィクションのためこの店も実在しないことは分かっていながらも、この男性にはいつまでも美味しいドーナツを作り続けて欲しいと思っております。

心の美意識を高めることも大切です

「嫉妬」は誰でも沸き起こる感情です。それは増幅すると胸の底にひっそりとかつ大胆に宿る闇のようになってしまうものだと思っております。
私の知り合いの女性に美意識が非常に高い方がいらっしゃいます。日頃から抗酸化作用が高い食事を摂り、肌のお手入れも丁寧におこなっているまるで女性の鏡のような人です。最も尊敬するところは、「心の美意識」についても日頃から高い関心を持っているところだと感じています。以前、彼女のおうちにお邪魔した際に一冊の本を持ち出し「美容に悪影響を及ぼすもの」を声に出して読み上げくれました。ちなみにこの時、私達はお酒をたらふく飲んでおり既にできあいがっていたことは言うまでもありません。その内容は、アルコールやカフェインの過剰摂取、不規則な生活、寝不足、恨み、嫉みでした。強調するように放った「恨み」「妬み」を聞いた時、思わず笑ってしまいましたが、よくよく考えると「なるほど」とうなずける内容になっていることに気付かされました。
いつも笑顔でさわやかでいることは理想ですが、横槍のように日々様々なことが起きるのが現実です。人は神ではないので喜怒哀楽を全て平常心で止めることが出来る訳ではありません。こうした出来事に対して一喜一憂するのが人間的の常でもあり、また嫉妬などの感情も日々生まれては消えてを繰り返しているような気がします。もしネガティブな気持ちで胸の中がいっぱいになってしまいそうなら、ちょっと笑ってみることがよいかもしれません。例えば女性エッセイストが書いた辛辣でブラックユーモアたっぷりのエッセイを読む、シュールなコメディ映画を観るなど対処法は色々あるはずです。こうした気分転換をすると、「まあ色々なことがあるよね」と受け流すことにも繋がり、心のデッドストックにもなるはず。そして大きく手を振りながら「バイバイ嫉妬」と笑えることが出来たら、怖いものなしなのではないでしょうか。

視界に飛び込んできた斬新な表紙

ある夕方のことです。その日たまたま乗り合わせた電車が遅れており、車内はぎゅうぎゅう詰めの満員でした。運良く空いている席に座れたため、私は読書をしていました。しかしながら車内はみるみるうちに人でいっぱいになり、ひしめき合っていたことを覚えています。ガタンとした揺れを感じたため、ふと顔を上げたら斜め前に立つ男性が座席の方向に前のめりに体が傾いたのでした。男性も読書をしており、私の目に文庫本の表紙が飛び込んできました。その装丁を見た瞬間「あっ」と思い、表紙をひっそりと観察させていただきました。何故ならば私が以前読んだノンフィクション作家が手掛けたとてもユニークなタイトルの作品だったからです。以前出会った作品は中東を旅しながら見つけたその国々のお酒について紹介したもので、非常に面白いものでした。この日視界に飛び込んできた作品は、「納豆」について書かれたもののようでした。表紙にはターバンを巻いた男性と発酵させた豆の写真が載っていたのです。「なんて斬新な本なのだろう」と心がときめいてしまい、是非これを読みたいと思ったのでした。同時に前に立っていたサラリーマンの男性に心から感謝の念を抱いたことは言うまでもありません。いつでもどこでも面白そうなものを探すアンテナを張っていると、思いも寄らない出会いに遭遇するものです。この出会いがきっかけとなり、もっともっと貪欲に本を探求していこうと思ったのでした。

会いたかった親子との運命的な出会い

今日の朝、運命的な出会いをしました。それは「素敵な男性との出会い」と言いたいところですが、そうではなく可愛い動物が登場する短編小説です。以前この小説が原作となった絵本を書店で見つけ、絵の美しさに一目惚れしてしまい友人の子供へのプレゼントとして購入しました。その時は内容をゆっくりと読むず、表紙に描かれていた白い雪の中に佇む二匹のきつねの愛らしさに心が惹かれてしまい、すぐさま購入を決めてしまったんです。その後読みたい思いが募りってはいたものの、プレゼント用として包装してもらったこともあり、包み紙を開けることができずに今に至ります。それから数ヶ月が経った今朝、図書館で借りた短編集がきっかけとなり再開を果たしました。絵は掲載されておらず、文字だけで書かれていたこともあり、物語がすっと心に沁みたものです。
物語はきつねの子供が手袋を買いに帽子屋さんに行くお話で、店主の優しさや親子の絆の温かさがとても印象的だったせいか、その日はいつもより幸せな気持ちで過ごすことができました。
ここ最近読んできた小説は人間の心の闇を描いたものなどが多く、どっしり重いストーリーのものばかりだったため、こんな風に癒される短編作品を欲していたのかもしれません。そして心温まる優しい小説を読むことは、大切なことだと心から思うのでした。

一人の力ではどうにもならないこともある

年を重ねてゆくと「一人で何でもできるのだ」という錯覚に陥ることがありまるものです。好きなものを食べて、好きな人と供に時間を過ごすこと、観たい映画を鑑賞することなど楽しいことがたくさんあるからかもしれません。その反面、責任ある行動や自立することも同時に覚えてゆくものだと感じます。特に「自分の責任は自分で取らなければ」という妙な責任感にさえなまれてしまうことがたまにあり、それが生き方をがんじがらめにしてしまうこともあるような気がするのです。確かに他者に迷惑をかけるのはいいことではないかもしれませんが、助け合う精神も必要です。しかしその兼ね合いがとても難しくて、悩む場面にも遭遇してきました。様々な経験を経て辿り着いたことは、どんなにタフで強靭な心を持っていても、自分の力だけで全てをやり遂げることはできないということでした。そのため時には誰かに頼る事、弱さをさらけ出すことも必要なのだと思ようになりました。今では弱さを他者に見せることは、強さだと感じています。
以前読んだ書籍に「人に借りを作らずには生きられない。もし借りを作ったのであれば必要な時に返してゆけばいい」と書かれていました。助けてもらった誰かにその恩を必ず返すことができるとは限りませんが、支えが必要な人が現れたのであればその方の助けになることで借りはチャラになるということでした。この本を読んだ時、どこか肩の荷が降りた、意気込まず生きてゆくことを知る糧にもなりました。がむしゃらに頑張らず周囲と歩調を合わせてゆくこと、社会に共存することの意味をより深く考えるようになったのでした。

義理人情がたっぷり詰まったマンガを胸に眠る夜

夜眠る前の至福で幸せな時間は大切にしたいものです。私はそんなこの上ない幸せを味わう一つの方法として読書を取り入れています。小説や随筆など様々な本を手に取っていますが、ここ最近はマンガを読んでいます。その作品は一話完結の夜に開く食堂のお話です。この物語は美味しい料理はもちろんのこと、骨身にしみる人情と男と女の心情がしっとりと描かれており、心に深く響きます。本当に作品に出てくる食堂で常連客と一緒にご飯を食べている気分になるのも不思議なものです。また登場する料理も庶民的で身近なのも乙だと感じます。
さて昨晩このマンガを読んでいたら、近しい女友達のことを思い出しました。今から5年位前に出会い、よくお酒を一緒に飲んだものです。時には赤提灯灯る酒場で、またある時はファミレスと場所を変えながらもお互いのことを語り明かしたよい時間を過ごしてきました。そして彼女もまたこの作品の大ファンで、新刊が出る度に二人でよく話したものです。友人は「義理人情たっぷりなストーリーが心優しくて胸が熱くなる」と語っていました。あれから年月が経ち会うことも少なくなりましたが、これを機会にまた連絡しようかと考えています。熱燗片手に美味しいつまみと楽しいネタがあれば、またあの頃に戻れそうだと感じるからです。そんなことを考えていたら寝落ちしてしまったようで、気が付いたらあっという間に朝を迎えていました。そんな夜もたまには貴重だと思いつつも、また新しい一日が始まるのでした。

小説の余韻に浸りながら考えたこと

小説を読み終える時、エンディングを前にしてとても寂しく思う時があります。少しの期間かもしれませんが一つの作品に身を置き、慣れ浸しんだことにより登場人物やストーリーに深い愛着を抱くからでしょうか。今朝読み終えた小説もまたそんな余韻がいつまでも残る作品でした。そのため朝の温かな太陽の光がいつもと違って見えたような気がしました。
この小説には、登場人物達の日々の生活に起こるささやかな喜びや悲しみが優しく綴られていました。それらは温かみを帯びながらもずっしりとした切なさが宿っているため、心にじんわりと響き続けています。また日々の営みの中に必然と起こる死や思いがけない出来事がいかに心の奥に沁みるように残り、その後の人生に影響してゆくかを考えさせられました。そして今まで培われた私自身の過去についても一つずつ紐解かれてゆくような感覚を覚えたのでした。
日々の暮らしは単調かもしれませんが、毎日刻々と変化は訪れるものです。忙しく暮らしていると小さな変化を捉えることは難しく感じるかもしれませんが、少し身をひそめて自分の心と向き合うことで、変わりゆくことに敏感になるのではないかと感じます。この小説は「現在進行形で起こっていること」「過去のこと」を受け入れながら、今を生きる術を教えてくれたように思うのでした。

義理人情がたっぷり詰まったマンガを胸に眠る夜

夜眠る前の至福で幸せな時間は大切にしたいものです。私はそんなこの上ない幸せを味わう一つの方法として読書を取り入れています。小説や随筆など様々な本を手に取っていますが、ここ最近はマンガを読んでいます。その作品は一話完結の夜に開く食堂のお話です。この物語は美味しい料理はもちろんのこと、骨身にしみる人情と男と女の心情がしっとりと描かれており、心に深く響きます。本当に作品に出てくる食堂で常連客と一緒にご飯を食べている気分になるのも不思議なものです。また登場する料理も庶民的で身近なのも乙だと感じます。
さて昨晩このマンガを読んでいたら、近しい女友達のことを思い出しました。今から5年位前に出会い、よくお酒を一緒に飲んだものです。時には赤提灯灯る酒場で、またある時はファミレスと場所を変えながらもお互いのことを語り明かしたよい時間を過ごしてきました。そして彼女もまたこの作品の大ファンで、新刊が出る度に二人でよく話したものです。友人は「義理人情たっぷりなストーリーが心優しくて胸が熱くなる」と語っていました。あれから年月が経ち会うことも少なくなりましたが、これを機会にまた連絡しようかと考えています。熱燗片手に美味しいつまみと楽しいネタがあれば、またあの頃に戻れそうだと感じるからです。そんなことを考えていたら寝落ちしてしまったようで、気が付いたらあっという間に朝を迎えていました。そんな夜もたまには貴重だと思いつつも、また新しい一日が始まるのでした。